鉢合わせ③

夕食は結局抜いた。一晩食事がなくても死にはしないので、ぐぅぅぅ……と鳴り出すお腹の声を我慢して、シャワーを浴びに行く。
高い位置にセットされたシャワーヘッドから、細かく勢いのある冷たい水が噴射される。

「キャッ! 冷たっ!」

反射的に身体をひねり、すぐに冷水の意地悪な攻撃を避ける。そこでようやく我に返り、選考のことから頭が離れた。すると、身体が一気に軽くなったような気がした。
地面から足が離れ、まるで浮遊しているようだ。
ぷかぷかと浮かぶ自分の身体は……。

浮遊?

足元を見る。足は地面に付いていない。無重力空間にいるような、そんな心地だ。しかし、水がぷかぷかと浮いているわけでも、シャンプーやリンスのボトルも浮いていない。つまり自分の身体だけが浮いているのだ。

「なーんだ、浮遊ね」

慣れない感覚に少し戸惑うが、少しの時間が経てば、これもまた良い。重力の束縛から解き放たれ、自由の身となった私は壁を伝って、その身体を堪能しようとしていた。

「って、浮いてるぅ!?」

自然な雰囲気で不思議な感覚に襲われたため、一時は夢かと思ったが、現実逃避はうまくいかない。これは紛れもないリアルなのだ。
思考復帰による一瞬の集中力欠如は、私に痛い目を見せる。

浮遊していた身体は重力の束縛にさらされ、風呂場の床へ自然落下した。追い打ちをかけるように、まだお湯にならないシャワーがかかる。
さっと身を引くが、今度は浮遊しない。水に対する慣れは、私の思考に余裕をもたらしていた。

まるで魔法使いになったようだった。
さっきの感覚を思い出し、浸る。それはまるで異世界に行ってしまったかのような……。

「……異世界、学」

なんの関係があるのだろう。ニュースで伝えられた異世界は、「魔法の使える」世界だった。
リクシオン、ジル、ハイタミ。どれも異世界ではあるが、この中で魔法が使えると判明したのはリクシオンのみ。それ以外はまだ調査中だそうだ。
もちろん、国の報道規制によって、ある程度は「嘘」が混じっている事なんて見え見えだ。しかし、今の自分には見分けることは出来ない。圧倒的なソース不足なのだ。
もしかしたら、私は異世界に多少の興味があったのかもしれない。
空想の産物だと思われていたモノが明らかになる過程を、期待しているのかもしれない。

カーテンを開けるが、いつもの景色だ。ここはリクシオンではない。そうだ、ここは私にとっては現実世界なのだ。そして魔法が使える可能性はない。
だが、私の脳は引っかかる。ごく自然に行われた「浮遊」という動作は奇妙だが、なぜか最初は納得できてしまった。それはスルーしてしまえるほど不思議で、しかし最後までは通り抜けられない何かが私を引き留めている。
巡らせても解決しない思考の壁は、シャワーの音も防いでいる。

※----※----※----※----※

買った惣菜はすっかり冷めてしまった。残念なことにレンジはまだ買っておらず、この冷たい飯を食うしかない。
それでもこの飯はあの時よりも格段に美味い。冷めきってしまって、おそらく本来の味ではないのだろうが、それでも美味い。この技術に関しては、さすがの俺も脱帽だ。
もちろん魔法を使えば、それも惣菜を焦がさず中に熱を通すだけの火力を出せるような繊細な魔法技術があれば、レンジと同じようなことが出来るだろう。おそらく数時間かければ、それくらいの火力い調整することが出来る。
しかしこの世界はピッとボタンを押すだけ。たったそれだけで出来てしまう。
手元にないのが幸いだろう。もしそんな便利家電が目の前にあったら、一日中使ってしまう。

パックをこする音と、むしゃむしゃという咀嚼音が部屋に広がる。隣は誰も住んでおらず、上にはおばさんが住んでいるが、いまはいない。そのため俺の部屋は静かだ。嵐が訪れる予兆なのではないかと思わせるほど静かすぎる。

明日から少しの間は休みだ。
一応、オリエンテーション期間は授業準備期間というテイだが、授業の準備などしていない。予定を少し変えることにしたのだ。

「あとは学長の許可だな……」

『授業予定変更届』とタイトル書きされた書類を眺め呟く。
1回目から異世界へ行く、そんな授業変更は果たして通るのか。

俺の休みは交渉に全て消えそうだ。

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